IT企業における人事制度の課題

IT市場はDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進や「2025年の崖」問題などにより、急速に成長しています。しかし、この成長に伴い、IT人材の需要も急増しており、各社とも、高度な専門知識とスキルを持つスペシャリスト人材を確保し、定着させるための人事制度の整備が大きな課題となっています。

(1)賃金水準の高さと人材の流動性

IT業界における中小企業の賃金水準は、他業種よりも高い傾向にあり、特に30代以降の賃金上昇幅が大きくなっています。業界内での人材の流動性が高く、転職市場での競争が激しいことが一因です。そのため、優秀な人材を確保するためには、他社に見劣りしない高待遇を提供することが求められます。特に中小企業にとっては、中途採用で自社の求める人材を獲得できるかが重要であるため、業界内の賃金水準や転職市場における相場を把握することはとても重要になります。

(2)評価制度の曖昧さと昇給の柔軟性

全社一律の評価制度では、ITスキル・知識に特化した技術職のスペシャリスト人材の処遇が難しくなります。総合職に求められるマネジメント能力が不足していても昇格できるような、IT技術の専門性を評価するための制度設計が必要です。

また昇給原資の配分に柔軟性がないことも課題であり、昇給停止や役職定年のルールがないため、人材の新陳代謝が進まず、総額人件費が高くなる傾向にあります。

IT企業における人事制度見直しのポイント

(1)役割基準の明確化と賃金設計

職種ごとの役割基準を明確にし、賃金設計を見直すことが重要です。具体的には、複線型等級制度を導入し、総合職コースと専門職コースに分けることで、各コースに応じた役割と賃金を設定します。専門職コースでは、高度な技術や知識を持つ人材に適した評価基準を設けることが求められます。

複線型等級フレーム(イメージ)
専門職コースを導入する際の検討事項
  • コースごとに求められる役割の内容
  • どの段階でコースを分岐させるか
  • コース別賃金制度(基本給・手当・昇給)・コース別評価制度の導入

(2)キャリアパスの明示と専門職の処遇

専門職コースのキャリアパスを明示し、昇格基準を設定することで、スペシャリスト人材の処遇を向上させます。役割定義に応じた評価項目を整備し、昇給基準を設定することで、専門職人材のキャリアパスを示し、会社に対する帰属意識を高めます。

(3)賃金制度の透明性と昇給のメリハリ

基本給をコース別に設定し、役職手当や資格手当を充実させることで、賃金にメリハリをつけます。昇給の透明性を確保するために、評価基準を明確化し、評価結果に基づく昇給が公正に行われるようにします。また、ゾーン型賃金表を導入し、一定以上の賃金水準を超えた社員の昇給を抑制することで、昇給金額にメリハリをつけます。

下記表のように、業務に直結する資格の取得を奨励し、資格手当を手厚く支給することも有効です。

IT技術職向けの資格手当
資格名称金額
CCNA5,000
CCNP10,000
LPIC 1 / LinuC-15,000
LPIC 2 / LinuC-210,000
基本情報技術者5,000
応用情報技術者15,000
AWS アソシエイト系資格5,000
AWS プロフェッショナル資格10,000
出典:世間相場を参考に著者が作成

また、等級制度で専門職コースを設定している場合、評価制度も総合職コースとは項目の内容や評価要素のウェイトを分けるといったことが重要です。人事考課表についてもコースや職種に応じて異なるフォーマットを用意します。業績評価が評価制度に組み込まれている場合、売上に直接関わりのない専門技術職(システムインフラの管理など)については、評価基準の設定が難しくなります。その場合は、業績評価のウェイトを小さくするか、業務の進捗率などをポイント化し、期間ごとに設定した目標ポイント数への到達率を基準とする考え方もあります。

職種に応じた処遇を実現した中堅IT企業A社の改定事例

(1)A社が抱えていた人事制度の課題

A社は1990年代にソフトウェアの受託開発企業として創業し、現在ではモビリティサービスにおけるソフトウェア開発を中心に事業を展開しています。A社では職種が開発職と事務職に分類され、開発職の中でもマネジメント業務と技術に特化した専門人材が併存していました。単一の等級制度では役割の内容が曖昧であり、昇給原資の柔軟な配分ができない点や、昇給停止・役職定年のルールがない点が課題でした。

(2)人事制度改定の内容

A社の人事制度改定のポイント
  • 専門職コースを新たに設置した複線型等級制度の導入
  • 職種区分で基本給を設定し、資格手当などを充実させる

コースと職種をそれぞれ区分し、それぞれの役割の内容を明確にしました。

<コース区分>
  • 総合職・・・
    一般業務から応用業務を担当し、マネジメントも行う職群
  • 専門職・・・
    高度な技術や知識を活かし、会社業績に貢献する職群
<職種区分>
  • 開発職・・・
    ソフトウェアの開発や開発の補佐に従事する職種
  • 事務職・・・
    ソフトウェア開発に従事しない職種

職種別賃金

基本給については、開発職と事務職の職種区分によって別の基本給表を適用しました。開発職の中では、専門職と総合職のコース区分が違っていても、基本給は同一のものが適用されます。そのため、初任給も職種と勤務地域で区分して、金額に格差をつけております。IT業界における賃金相場を意識し、特に大卒以上の初任給を変更前より高い水準としました。

(3)人事制度改定でもたらされた効果

  • 専門コースを設定した複線型等級フレームで専門性の高い社員の位置づけが明確になった
  • 開発職における学歴別の初任給を、採用市場でも見劣りしない水準に見直した
  • 等級内で昇給ピッチに変化をつけるゾーン型賃金表を採用し、賃金にメリハリがついた
  • 等級やコース別に評価項目やウェイトに変化をつけ、役割の違いが評価に反映されるようになった