1.1960年から1975年の人事制度の特徴
高度経済成長下における人事制度戦後の混乱期を経て、日本は1960年頃から、毎年10%前後の成長を遂げるという高度経済成長時代へと突入し、戦後のベビーブームで生まれた世代が労働市場に出てくるようになりました。
これを受けて、日本企業は若年層を安い労働力として利用し、利益をあげていきます。
また、この時代は、いわゆる護送船団方式で、賃金面では同一世代同一昇給という取り扱いが大勢を占めていました。さらには、昇進も年功序列で行われており、若い世代には、「40歳課長」というような昇進イメージを持たせて、モチベーションを喚起していました。
2.1975年から1992年の人事制度の特徴
ところが、1970年代になると、2度のオイルショックが日本を襲い、経済成長率が5%程度に鈍化しました。
この経済失速を受けて、日本企業の多くは人件費のコントロールとポスト不足に目を向けるようになります。欧米のように職務給の導入も議論されましたが、日本の組織風土の良さを活かすために、「職能資格制度」、いわゆる能力主義に根差した人事制度が考え出されました。これは、ポスト不足で40歳の社員全員が課長にはなれないものの、保有している能力があれば、課長に準ずる処遇を受けることができるという考え方にもとづいています。
役職とは別に資格等級という概念を作り、能力があれば資格等級が上がり、それに連動して給与も上がるというものでした。
また、資格等級の数を多くすることで、昇格の回数を増やし、社員のさらなるモチベーション喚起につながると考えられるようになり、100人規模の企業でも、10等級以上の資格等級を設定するといったケースがよくみられました。
しかしながら、資格等級の数を多くしすぎ、資格等級別の能力要件が明確に区分されなかったため、結果的に多くの企業で能力主義人事制度の運用そのものが年功的になってしまいました。
3.1992年から2012年の人事制度の特徴
1992年頃までの日本は安定的な経済成長を続け、世界第二位のGDPを維持していましたが、いわゆるバブル崩壊が日本を襲い、経済成長率は一転マイナスとなり、デフレ時代の到来を迎えることになります。このような中、企業は利益を確保するために人件費をコストとみるようになり、その削減に乗り出します。
最も人件費削減の対象としやすかったのが管理職層であり、その人件費を削減するために、早期退職制度、リストラ、年俸制の導入などが行われました。
このように、人事制度は短期的な業績確保に向けられ、成果主義を指向する企業も多くみられるようになりました。
その後、2008年のリーマンショック、2011年には東日本大震災が日本を襲い、経済は危機的状況を迎えます。企業はさらなる成果主義の強化を試みますが、短期的業績だけを考え、中期的な戦略思考が取られなくなったり、組織風土が悪化したりと、かえって成果主義の弊害ばかりが表面化するようになっていきました。
4.2012年から今日の人事制度の特徴
しかしながら、2012年に自由民主党が政権を奪回して以降は、公共工事の増加、アベノミクスなどの影響で、市場心理は改善に向かい始めました。
そこから今日までは、能力主義の問題点、成果主義の問題点を解消するため、また、労働力人口減少下での採用競争に対応するため、IT人材を中心とした専門職を高処遇で迎えるため、国際人材を取り込むため、さらには総額人件費をコントロールするためにも、仕事や役割、責任に焦点を当てた職務主義の人事制度が主流となりつつあります。